顔色をうかがう癖
昔から、人の顔色を気にしすぎる自分がいました。
特に気になってしまうのは、親や先生、部活の監督、職場の上司など、自分より立場が上の人です。
「怒っているのかな。」
「嫌われたかもしれない。」
「期待に応えられなかった。」
そんなことを考えてしまい、相手の表情や声のトーンを必要以上に気にしてしまいます。
一方で、そういう相手に対して反発したくなる気持ちもありました。
「なんで自分はこんなに人の目を気にしてしまうんだろう。」
そう思いながら過ごしてきました。
最近、愛着について学ぶ機会がありました。
そこで、「もしかすると、自分の生きづらさには愛着が関係しているのかもしれない」と感じました。
今回は、一人の作業療法士として、そして一人の当事者として、自分の経験を振り返ってみたいと思います。
幼少期は「真面目」だった。でも、自分の感覚は違っていた
親に昔のことを聞くと、「小さい頃は本当に真面目で頑張る子だった」と言われます。
親から見れば、そう映っていたのだと思います。
でも、自分の感覚は少し違います。
私は真面目だったというより、「真面目にするしかなかった」のです。
父は体育会系で、しつけにも厳しい人でした。
失敗をするとビンタをされたり、叩かれたり、大きな声で怒られることもありました。
また、「成績が一定以上でなければ部活を辞めさせる」といった条件を課されることもありました。
今振り返ると、父には私を成長させたいという思いがあったのだと思います。
ただ、子どもだった私は、
「失敗すると怒られる。」
「期待に応えられなければ認めてもらえない。」
そんなふうに感じていました。
当時は、自分の気持ちをうまく言葉にすることもできません。
だから苦しくても、「頑張る」という選択しかできなかったのです。
家でも学校でも、人の顔色を気にしていた
小学生の頃は、強豪のソフトボールチームに所属していました。
監督やコーチもとても厳しく、怒鳴られることも珍しくありませんでした。
家では父の顔色をうかがい、学校や部活では先生や監督の顔色をうかがう。
そんな毎日を過ごしていました。
今思えば、「安心して失敗できる場所」が自分には少なかったように感じます。
もちろん、親や指導者を責めたいわけではありません。
当時は、それが当たり前だと思われていた時代でもあります。
ただ、生まれつきADHDの特性があり、失敗しやすく、人の反応に敏感だった私には、その環境はとても苦しかったのです。
「安全基地」という言葉を知って、少し腑に落ちた
愛着について学ぶ中で、「安全基地」という言葉を知りました。
子どもは本来、家族という安心できる場所を土台にしながら成長していくと言われています。
安心できる場所があるからこそ、新しいことに挑戦し、失敗しても「また頑張ろう」と思えるのです。
一方で、「怒られるかもしれない」「期待に応えられなければ認められない」と感じる経験が続くと、相手の反応を常に確認することが、自分を守る方法になることがあります。
もちろん、愛着は家庭環境だけで決まるものではありません。
生まれ持った気質や発達特性、学校生活、人間関係など、さまざまな要因が重なって形成されると考えられています。
私の場合も、ADHDの特性や学校生活での経験が重なり、人の顔色を気にする癖が強くなったのかもしれません。
「認められたい」が、いつの間にか人生の中心になっていた
振り返ると、私は昔から「認められたい」という気持ちがとても強かったように思います。
足が速い子が人気なら、一生懸命走る。
スポーツが評価されるなら、必死に頑張る。
勉強で認められるなら、勉強も頑張る。
その時々で、「これを頑張れば価値がある」と思えるものを追い続けていました。
そして、いつも誰かと比べていました。
友達の数。
勉強。
スポーツ。
異性からの人気。
もちろん、人と比べること自体は誰にでもあります。
でも私は、その比較に振り回され、自分の価値まで他人に委ねてしまっていたように思います。
今、少しずつ変えようとしていること
今は子どもの頃とは環境が違います。
親元を離れ、自立し、昔ほど厳しい上下関係の中で生活しているわけではありません。
それでも、昔に身についた考え方は簡単には変わりません。
だから私は、認知行動療法(CBT)の考え方を取り入れています。
例えば、
「今日は上司の態度が冷たかった。」
そう感じたときには、
「本当に嫌われたのだろうか。」
「そう考える証拠はあるだろうか。」
「別の理由も考えられないだろうか。」
と、自分に問いかけます。
翌日になって話してみると、「たまたま忙しかっただけだった」ということも少なくありません。
また、その日の出来事や気持ちをブログやノートに書き出し、「事実」と「自分の推測」を分けて整理するようにしています。
これだけでも、不安に飲み込まれる時間は少しずつ短くなってきました。
これからは「安心できる関係」を育てていきたい
愛着について学ぶ中で、一番心に残ったのは、「安心できる人との関係が心を回復させる」という考え方でした。
今の私には、安心できる恋人がいます。
その関係を大切にしていきたいと思っています。
そして、家族との関係も少しずつ変えていきたいと考えています。
以前は、お互いの欠点を指摘したり、正しさを伝えようとしてしまうこともありました。
でも、これからは違います。
「そんな失敗もあるよね。」
「話してくれてありがとう。」
そんなふうに、失敗しても安心して話せる関係を築いていきたいと思っています。
もし一人で抱えきれないときには、カウンセリングなど専門家の力を借りることも大切な選択肢だと思っています。
まとめ
私は、自分が愛着障害だと診断されているわけではありません。
それでも、愛着について学んだことで、「なぜ人の顔色を気にしてしまうのか」「なぜ認められたい気持ちがこんなに強いのか」を、以前より理解できるようになりました。
過去は変えられません。
でも、過去を理解することはできます。
そして、「安心できる人との関係」を少しずつ築きながら、考え方や行動は変えていけるかもしれません。
もしこの記事を読んで、「自分にも当てはまるかもしれない」と感じた方がいたら、自分を責める前に、「なぜ自分はそう感じるようになったのだろう」と、一度立ち止まって考えてみてください。
その時間が、自分を大切にする第一歩になるかもしれません。


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