「せっかくの休みだから、勉強したい」
「ブログも書きたいし、本も読みたい」
「普段できないことを、休日にやればいい」
頭ではそう思っている。
それなのに、いざ休日になると、なかなか動けない。
SNSを見て、YouTubeを見て、気づけば時間が過ぎている。刺激の強い動画を何本も見てしまって、「またやってしまった」と自己嫌悪になる。
でも、平日の仕事では、意外と集中できている。
この違いは、いったい何なのだろう。
僕自身、ADHDの特性があり、「仕事の日より、むしろ自由な休日のほうが自分をコントロールするのが難しい」と感じることがあります。
そこで最近、ふと思ったことがあります。
「自由時間は、ADHDにとって本当に自由なのだろうか?」
もしかすると、自由だからこそ難しい人がいるのかもしれません。
この記事では、僕自身の休日の体験をもとに、ADHDと自由時間の関係、SNSや動画に流されてしまう理由、そして「もっと頑張る」以外の休日の過ごし方について考えてみます。
ADHDにとって「自由な休日」が難しい理由
仕事では「やること」が決まっている
仕事の日は、意外とやることが明確です。
「この時間に訪問する」
「この利用者さんのリハビリをする」
「終わったら記録を書く」
「次の予定に移る」
もちろん仕事には大変なこともあります。
それでも、少なくとも「次に何をすればいいのか」は比較的はっきりしています。
一方、休日になると状況が変わります。
「今日は何をしよう?」
「ブログを書く?」
「勉強する?」
「本を読む?」
「掃除する?」
「運動する?」
「スポーツを見る?」
「どこかに出かける?」
一気に選択肢が増えます。
そして、この「選ぶ」「計画する」「始める」「切り替える」といったことには、実行機能が関係しています。
ADHDでは、計画、抑制、ワーキングメモリ、切り替えなどの実行機能に困難がみられることがあり、成人を対象とした研究でもこうした認知機能の違いが報告されています。
つまり、
「やりたいことがないから動けない」
だけではないのかもしれません。
むしろ、
「やりたいことが多すぎて、そこから一つを選び、実際の行動に移すのが難しい」
ということもある。
これは、僕自身かなり思い当たるところがあります。
僕の休日は、実は「何もしていない」わけではなかった
僕は休日でも、なるべく朝7時ごろには起きるようにしています。
睡眠を大切にしたいので、休みの日だからといって極端に寝坊するのではなく、なるべく起きる時間をそろえるようにしています。
昼食も、自分で料理する。
ブログも15分くらいは書く。
本も1時間くらい読む。
スポーツを見ることもある。
掃除もする。
こうして並べてみると、意外といろいろやっています。
それでも、休日の終わりになると、
「もっと勉強できたんじゃないか」
「もっとブログを書けたんじゃないか」
「結局YouTubeを見ている時間が長かったな」
と思うことがあります。
だから、最近少し考え方を変えるようになりました。
もしかすると問題は、
「休日に何もしていないこと」ではなく、「自分が納得できる過ごし方を、自分で選べていない感覚」
なのかもしれません。
なぜSNSや刺激の強い動画を見続けてしまうのか
「ドーパミンに負けている」と考えすぎない
SNSや動画を見ていると、
「またドーパミンに負けた」
と考えてしまうことがあります。
僕も以前は、そんなふうに考えていました。
ただ、これは少し単純化しすぎた説明かもしれません。
ADHDでは、報酬処理や、すぐ得られる報酬と後から得られる報酬の選択に違いがみられることが研究されています。メタ分析では、ADHD群で遅れて得られる大きな報酬より、すぐ得られる小さな報酬を選びやすい傾向が報告されています。
だからといって、
「ADHDの人は必ず刺激を求める」
という意味ではありません。
ただ、
「今すぐ楽しめるもの」
「次々に新しい刺激が入ってくるもの」
に注意を引きつけられやすい場面がある、と考えると分かりやすいと思います。
僕が特に嫌なのは「選んでいない視聴」
YouTubeを見ること自体が悪いとは思っていません。
たとえば、スポーツを見る。
ニュースを見る。
選挙について勉強する。
これは、自分が興味を持って選んでいる時間です。
問題だと感じるのは、
「気づいたら見ていた」
という時間です。
SNSを開いて、何となくスクロールする。
そのまま刺激の強い動画を見る。
次の動画を見る。
さらに次を見る。
気づけば1時間経っている。
こうなると、見終わったあとに満足するというより、
「また時間を使ってしまった」
という感覚が残ります。
僕の場合は、喧嘩や暴力的な映像、過激なコンテンツなどを見続けてしまったときに、その感覚が強くなります。
だから、
「SNSを全部やめる」
というより、
「自分で選んだ視聴なのか、刺激に引っ張られた視聴なのか」
を分けて考えるほうが大切なのだと思っています。
ADHDの休日に「予定を詰め込む」のも違う
ここで一つ注意したいのは、
「じゃあ、休日も仕事みたいに予定をギッシリ入れればいい」
という話ではないことです。
僕自身、休日くらいは何も考えずに過ごしたいと思うことがあります。
本を読む。
スポーツを見る。
カフェでぼーっとする。
人間観察をする。
昼寝をする。
こういう時間も必要です。
問題は、「休むこと」ではありません。
自分で選んで休むことと、刺激に流されて休んでいることは違う
ということです。
休日の過ごし方を変えるなら「自制心」より「環境」
僕は最近、
「SNSを見ないように頑張る」
という方法だけでは、限界があると感じています。
スマートフォンの電源を切る。
SNSの使用時間を制限する。
それでも、パソコンがある。
パソコンを開けばYouTubeが見られる。
結局、別の入り口から同じことが起きる。
だったら、自分の意思だけに頼らない方法を考えたほうがいい。
そこで思いついたのが、
「休日の一部を家の外に移す」
という方法です。
一駅先のカフェを「第三の場所」にする
僕が考えているのは、休日の午後に一駅先のカフェへ行くこと。
博多まで行く必要もない。
小倉まで行く必要もない。
大きな予定を作る必要もない。
ただ、いつもの生活圏から少しだけ離れる。
そして、カフェに行く前に、
「今日はブログを書く」
「今日は本を読む」
「今日はお金の勉強をする」
のように、一つだけ決めておく。
これなら、家で「何をしよう?」と考え続けるより、行動に移しやすいかもしれません。
しかも、カフェに行ったからといって、必ず生産的なことをしなくてもいい。
コーヒーを飲みながら、ぼーっとしてもいい。
人間観察をしてもいい。
本を数ページ読むだけでもいい。
大切なのは、
「自分で選んだ時間」にすること
だと思っています。
「休日の自由」を少しだけ減らしてみる
ここが、この記事で一番伝えたいことです。
自由だから、何でもできる。
でも、何でもできるからこそ、何をするか決めるのが難しい。
だから、僕は休日の自由を完全になくすのではなく、少しだけ減らしてみることにしました。
たとえば、
朝7時に起きる。
午前中は大谷翔平選手の試合を見る。
昼食を作る。
午後は一駅先のカフェへ行く。
カフェでは、
「ブログ」
「勉強」
「読書」
のどれか一つ。
終わったら帰る。
これくらいでもいい。
予定を詰めるのではなく、
「次に何をするか」を少しだけ決めておく。
それだけで、休日の過ごし方は変わるかもしれません。
「今の自分に必要な勉強」を3つに絞る
僕の場合、今勉強したいこともある程度決まっています。
一つ目は、お金の知識。
二つ目は、自分自身のADHDについて。
三つ目は、精神疾患や家族への支援について。
全部を一気に勉強しようとすると、それだけで選択肢が増えます。
だから、
「今日はお金の勉強」
「次の休日はADHD」
「その次は精神疾患」
くらいに、一つに絞る。
この「選択肢を減らす」という発想は、ADHDの人だけでなく、休日にやりたいことが多すぎて動けなくなる人にも使えると思います。
CBTの視点から考える「休日=生産的でなければならない」の罠
休日に何もできなかったとき、僕たちはつい、
「今日も無駄にした」
「自分は意思が弱い」
「またSNSを見てしまった」
と考えてしまいます。
でも、その考え方が強くなると、
「自分はダメだ」
↓
「どうせ今日もできない」
↓
「もういいや」
↓
「さらにSNSを見る」
という悪循環につながることがあります。
認知行動療法(CBT)的には、出来事そのものだけでなく、その出来事をどう解釈するかにも注目します。
たとえば、
「休日にYouTubeを2時間見た」
という事実と、
「休日を完全に無駄にした」
という評価は別のものです。
実際には、
朝7時に起きた。
料理をした。
ブログを書いた。
本を1時間読んだ。
スポーツも楽しんだ。
そのうえでYouTubeも見た。
こう考えると、少し見え方が変わります。
もちろん、「もう少しSNSを減らしたい」という目標を持つことは悪くありません。
ただし、
改善することと、自分を責めることは別です。
ADHDの休日に必要なのは「もっと頑張ること」ではないのかもしれない
今の僕が考えているのは、
「もっと自制心を持とう」
ではありません。
むしろ、
自制心を使わなくても済む環境を作ろう
ということです。
スマホを遠ざける。
SNSの時間を決める。
家から少し出る。
カフェに行く。
その日にやることを一つだけ決める。
そして、何もしない時間も許す。
これくらいのほうが、長く続けやすいと思います。
自由時間はADHDにとって本当に自由なのか?
僕は最近、この問いを考えるようになりました。
「自由な休日が苦手なのは、自分が怠け者だからなのか?」
たぶん、そう単純ではない。
仕事では外側から与えられていた「次にすること」が、休日には突然なくなる。
その結果、自分で選び、計画し、開始し、切り替える必要が増える。
そして、そのときにSNSや動画のような「今すぐ楽しめるもの」が目の前にある。
そう考えると、休日にダラダラしてしまうことを、全部「意思の弱さ」で説明する必要はないのだと思います。
もちろん、すべてがADHDのせいだとも言い切れません。
疲れているときもある。
失恋などで気持ちが落ちていることもある。
単純に休みたい日もある。
人間なら、そういう日もあります。
だからこそ、
「自分はなぜ動けないのだろう?」
と責めるより、
「どうすれば、自分が動きやすい環境を作れるだろう?」
と考えてみる。
僕はこれから、休日のどちらか一日は、少し外に出てみようと思っています。
一駅先のカフェまで行って、ブログを書いてもいい。
勉強してもいい。
本を読んでもいい。
何もしなくてもいい。
大切なのは、誰かに決められた「有意義な休日」ではなく、
自分で選んだ休日を過ごすこと。
それが、ADHDにとっての「自由時間」を、本当の意味で自由にしていく一歩なのかもしれません。
まとめ|「自由すぎる休日」が苦手でも、自分を責めなくていい
ADHDにとって、自由時間は必ずしも簡単な時間ではないのかもしれません。
仕事のように予定が決まっていれば動けるのに、休日になると選択肢が増えて、何から始めるか決めにくくなることがあります。
そして、SNSや動画のような「すぐに楽しめる刺激」に流されることもあります。
そんなときに必要なのは、「もっと頑張ること」ではなく、
自由を少しだけ減らすこと。
「午後はカフェに行く」
「今日はブログだけ」
「今日は本だけ」
そんな小さな枠を作るだけでも、休日の過ごし方は変わるかもしれません。
そして何より、
休むこと自体は悪くありません。
大切なのは、何となく流されて時間を失ったと感じることではなく、
「今日は休む」
「今日はスポーツを見る」
「今日はカフェで何もしない」
と、自分で選べることなのだと思います。
自由時間をうまく使えない自分を責めるのではなく、
「自由時間でも動きやすい環境を、自分で作っていく」
そのほうが、ADHDとの付き合い方としては現実的なのかもしれません。


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