「自分はADHDです」
この一言を、職場の人や友人に伝えるのは、思っている以上に勇気がいります。
理解してもらえるかもしれない。
でも、理解してもらえないかもしれない。
「だからミスしたのか」と納得してもらえることもあれば、
「ADHDだから仕方ないんだね」と、能力そのものを低く見られてしまうこともある。
逆に何も言わなければ、
「なんでこの人はこんなに忘れるんだろう」
「どうして何度も同じミスをするんだろう」
と思われてしまうかもしれません。
僕自身も、ADHDについて周囲にどこまで伝えるべきなのか、今でも迷うことがあります。
「ちゃんと伝えたほうがいい」と思う日もあれば、
「できれば知られたくない」と思う日もある。
だから最近は、ADHDを「伝えるか、隠すか」という二択で考えないほうがいいのではないかと思うようになりました。
大切なのは、
自分のことを全部説明することではなく、必要な人に、必要な情報だけを少しずつ伝えること。
そしてもう一つ大切なのが、
「自分が配慮してもらうこと」だけを考えるのではなく、「自分も相手に何を返せるか」を考えること
だと思っています。
僕はそれを、自分自身の「取り扱い説明書」を少しずつ渡していくようなものだと考えています。
- ADHDを周りに伝えるのが難しい理由
- 「理解してくれる人」と「理解しにくい人」がいる
- ADHDを伝えたら、逆に見られ方が変わることもある
- だから、全員にADHDを伝える必要はない
- ADHDそのものより「困っていること」を伝える方法
- そして大切なのは「自分も相手に何を返せるか」
- 仕事の苦手な部分だけではなく、自分の得意な部分も見ておく
- 相手にとってのメリットも考えてみる
- 「どこまで手伝ってもらうか」が難しい
- 「ADHDだから」は言い訳になってしまうのか
- 「ADHDだから」ではなく「次はどうする?」に変える
- 友人には、職場よりも伝えやすい
- ADHDを伝えるタイミングは、問題が起きてからでもいい
- ADHDを伝えるか迷ったら、4つだけ考えてみる
- ADHDを周知するのではなく、自分の「取り扱い説明書」を少しずつ渡す
ADHDを周りに伝えるのが難しい理由
ADHDを伝えることが難しいのは、単純に「恥ずかしいから」だけではありません。
まず一つは、相手がADHDをどのくらい理解しているのかわからないことです。
最近はADHDという言葉そのものを耳にする機会も増えました。
それ自体は、発達障害について知る人が増えたという意味では良いことかもしれません。
一方で、ADHDという言葉が日常的な比喩のように使われることもあります。
「俺、ADHDだから忘れたわ」
「私もADHDっぽいんだよね」
というような使われ方です。
もちろん、その人に悪意があるとは限りません。
でも、実際に診断を受け、日常生活や仕事の中で困りごとを抱えている側からすると、
「ADHDって、単に忘れっぽい人のことだと思われているんじゃないか」
と感じることがあります。
すると、自分がADHDだと伝えたときに、
「それって言い訳じゃないの?」
と思われるのではないかという不安も出てきます。
「理解してくれる人」と「理解しにくい人」がいる
僕自身が感じるのは、ADHDや精神疾患、発達障害を理解してくれる人には、ある程度の共通点があるということです。
それは、
身近な人に、そうした特性や病気を持っている人がいること。
もちろん全員がそうとは限りません。
ただ、家族や親族、あるいは大切な友人などを通じて、実際に困っている人を身近に見てきた経験があると、
「本人が怠けているだけではない」
ということを理解しやすくなるように感じます。
反対に、自分の人生の中で発達障害や精神疾患を身近に感じた経験がほとんどない人にとっては、
「どうして忘れるの?」
「気をつければいいんじゃない?」
という理解になりやすいこともあります。
これは、相手が冷たい人だからとは限りません。
単純に、知らないからです。
だから、
「理解してもらえない=自分の伝え方が悪い」
と考えすぎる必要もないのだと思います。
ADHDを伝えたら、逆に見られ方が変わることもある
ADHDを伝えることで、仕事が楽になるケースもあります。
困りごとを理解してもらい、必要な配慮を受けられることがあります。
一方で、
「この人には難しい仕事は任せないほうがいい」
「ミスが多い人だから気をつけよう」
と、必要以上に能力を低く見られてしまう可能性もあります。
実際、職場で精神的な問題を開示することについては、支援や配慮につながる場合がある一方で、偏見や不利益への懸念も指摘されています。
だから、
「言えば必ず楽になる」わけではありません。
ここが難しいところです。
僕自身も、ADHDだと伝えたら、
「じゃあ、この仕事は大変だよね」
「この人には難しいかもしれない」
と、能力そのものを低く見られてしまうのではないか、と考えることがあります。
人の能力を正確に評価すること自体が難しいからこそ、診断名が先に知られることに不安を感じるのは、決して不思議なことではないと思います。
だから、全員にADHDを伝える必要はない
僕は、
「ADHDだから、周囲の人みんなに伝えなければいけない」
とは思っていません。
むしろ、全員に伝える必要はないと思っています。
職場でも、基本的には全員に伝えるのではなく、
「どうしても一緒に仕事をする必要がある人」
「自分の仕事に大きく関わる人」
「話を聞いてくれそうな人」
などを選んで伝える。
これは、逃げているわけではありません。
自分の情報を誰にどこまで渡すのかを、自分で決めているだけです。
ADHDそのものより「困っていること」を伝える方法
ここは僕自身が大切だと思っているところです。
たとえば、
「僕はADHDです」
と伝える代わりに、
「口頭で一度にいくつも言われると、聞き漏らしてしまうことがあります」
「忘れないように、重要なことはメモや文字で残してもらえると助かります」
「予定を頭の中だけで管理するのが苦手なので、締め切りを一緒に確認できると助かります」
と伝える。
このほうが、相手にとっても具体的です。
そして、
診断名を理解してもらうことより、実際の困りごとと、その対策を理解してもらうことのほうが役立つ場合もあります。
たとえば、
「聞き漏れが多い」
「忘れやすい」
「計画を立てるのが苦手」
という特徴を伝えたうえで、
「だから重要なことは文字で残してもらえると助かります」
と説明する。
これなら、相手も「じゃあどうすればいいのか」がわかります。
そして大切なのは「自分も相手に何を返せるか」
ここは、ADHDを周囲に伝えるうえで、僕が最近かなり大切だと思っている部分です。
「自分にはこういう苦手があります」
と伝える。
でも、それだけだと、どうしても、
「配慮してほしい」
「助けてほしい」
という一方通行の話に見えることがあります。
だから僕は、
「自分も相手に何か返せるものはないかな」
と考えるようにしています。
たとえば僕の場合、ADHDの特性として聞き漏らしやミスが多い部分があります。
でも一方で、職場ではパソコンやAIについて、比較的知っているほうだと思っています。
ものすごく詳しい専門家というわけではありません。
それでも、
「パソコンのことで困っている」
「AIを使って業務を効率化したい」
「こういう資料を作りたい」
というときに、自分が手伝えることがあります。
だったら、
「自分はここが苦手だけど、ここなら力になれる」
という関係を作ればいい。
これは、障害や特性の有無に関係なく、人間関係として自然なことだと思います。
仕事の苦手な部分だけではなく、自分の得意な部分も見ておく
ADHDのことを考えていると、
「忘れる」
「ミスする」
「計画が苦手」
「集中が続かない」
など、どうしても苦手な部分に目が向きます。
でも、それだけが自分ではありません。
仕事をする以上、
「自分が苦手なこと」
と同時に、
「自分ができること」
もあります。
だから、周囲に特性を伝えるときも、
「これが苦手です」
だけではなく、
「この部分ならできます」
というところまで見つけておくといいと思います。
これは単に印象を良くするためではありません。
お互いが助け合える関係を作るためです。
相手にとってのメリットも考えてみる
僕の職場では、訪問の仕事なので、スタッフによって生活状況が違います。
たとえば、子どもがいる人なら、保育園や学校のお迎えの時間があります。
みんな同じように働いているように見えても、
「何時までに帰らなければならないか」
は人によって違います。
訪問の仕事では、最後の訪問先が事業所や自宅から遠いと、そこから戻るだけでも時間がかかります。
そうすると、
「早く帰って子どもを迎えに行きたいのに、遠いところで訪問が終わってしまう」
ということが起きます。
僕は独身なので、
「少し帰りが遅くなっても大丈夫なら、自分が遠いところの訪問を担当しよう」
と考えることがあります。
朝の訪問でも同じです。
事業所から遠い場所にある訪問先なら、自分が担当することで、子どもがいる人の負担を少し減らせるかもしれません。
これはADHDの話とは直接関係がないように見えます。
でも、実はものすごく関係があると思っています。
なぜなら、
「自分の苦手なところを理解してもらう」だけではなく、「自分も相手が困っている部分を理解する」
ことが、職場での関係を作るうえで大切だからです。
「自分にも苦手があります」
「でも、自分ができることであなたを助けられることもあります」
そういう関係なら、ADHDについて話したときにも、一方的に配慮を求めているようにはなりにくいと思います。
「どこまで手伝ってもらうか」が難しい
ただ、ここでも一つ問題があります。
配慮してもらえばいい。
助けてもらえばいい。
そう簡単にはいきません。
僕自身も、
「ここまでは手伝ってほしい」
と思う一方で、
「でも、何でも人にやってもらうのは違うよな」
とも思います。
たとえば、
「忘れやすいから全部確認してください」
ではなく、
「自分でも予定表やリマインダーを使うので、重要な部分だけ確認してもらえると助かります」
というようにする。
自分でできる部分は自分で工夫する。
そのうえで、
一人では難しい部分だけ、環境や周囲の力を借りる。
このくらいがちょうどいいのかもしれません。
「ADHDだから」は言い訳になってしまうのか
そして、僕自身が一番難しいと思っているのがここです。
ミスをしたとき、
「ADHDだからです」
と言いたくなることがあります。
これは、たぶん僕だけではないと思います。
ミスをして怒られた。
忘れてしまった。
聞き漏らした。
段取りが悪かった。
そんなとき、
「ADHDだから仕方なかった」
と考えると、一瞬だけ気持ちが楽になります。
でも、それだけで終わってしまうと、今度は改善する機会を失ってしまいます。
逆に、
「ADHDなんだから、全部自分で何とかしなければいけない」
と考えるのも苦しくなります。
だから、ここでは少しだけ考え方を分けてみます。
事実
「重要な連絡を聞き漏らした」
特性
「自分は口頭情報の保持や注意の切り替えが苦手な部分がある」
対策
「次回から重要な内容はその場でメモし、最後に復唱する」
ここまで来れば、
ADHDは言い訳ではなく、対策を考えるための情報
になります。
「ADHDだから仕方ない」で終わるのではなく、
「ADHDだから、こういう仕組みを使おう」
に変えていくわけです。
「ADHDだから」ではなく「次はどうする?」に変える
たとえば仕事でミスをしたとします。
「ADHDだから忘れた」
だけだと、そこで思考が止まります。
一方で、
「忘れやすい特性がある。では、次はどうすれば忘れにくくなるだろう?」
と考えてみる。
「その場でメモする」
「スマホに入れる」
「メールでもらう」
「復唱する」
「締め切りをカレンダーに入れる」
というように、対策が出てきます。
これは、
自分の責任を放棄することでも、自分を責めることでもありません。
特性を前提にして、失敗しにくい環境を作るということです。
友人には、職場よりも伝えやすい
友人の場合は、また少し違います。
ものすごく仲のいい友人には、話してもいいと思います。
仕事ほど、
「配慮しなければいけない」
「この人に仕事を任せて大丈夫なのか」
という問題が出にくいからです。
「実はADHDなんだよね。だから忘れっぽいところがあってさ」
くらいでもいい。
ただ、ここでも全部を説明する必要はありません。
大事なのは、
相手に負担を背負わせるような伝え方をしないこと。
「だから全部理解して」
「だから怒らないで」
「だから何でも許して」
となると、受け取る側も困ってしまいます。
それより、
「こういうところが苦手なんだよね。でも自分でも工夫してる」
くらいのほうが、相手も受け取りやすいのではないでしょうか。
そして、本当に親しい友人なら、
「話してくれたんだな」
と受け止めてくれることもあります。
ADHDを伝えるタイミングは、問題が起きてからでもいい
僕自身は、仕事の場合、
最初から診断を伝えておく必要はない
と思っています。
むしろ、
「現実に仕事上の困りごとが出てきた」
「この人に相談すれば改善につながりそう」
というタイミングで伝えるほうが、話は具体的になります。
たとえば、
「最近、口頭で受けた指示について抜けが出ることがあるので、重要なことはメールでも残してもらえると助かります」
という形です。
これは、
「私はADHDです。配慮してください」
よりも、問題と解決策がつながっています。
もちろん、業務への重大な支障がある場合や、安全面に関わる場合などは、早めに上司や必要な相談窓口へ相談することが大切です。
ただ、
「診断を受けたら、すぐに全員へ公表する」
という必要はありません。
開示は一回きりのイベントではなく、誰に、何を、どのタイミングで伝えるかを考えるプロセスだと考えたほうが現実的です。
ADHDを伝えるか迷ったら、4つだけ考えてみる
僕なら、次の4つを考えます。
その人に伝えるメリットはあるか
「知ってもらうことで、自分も相手も仕事がしやすくなるだろうか?」
協力してもらえる可能性があるか
「伝えることで、具体的な協力や環境調整につながるだろうか?」
自分も相手に返せるものがあるか
「自分が苦手な部分とは別に、相手の負担を減らせることはないだろうか?」
今すぐ伝える必要があるか
「今はまだ困っていないなら、急いで伝える必要はあるだろうか?」
そして最後に、
「この人に話しても大丈夫だと思えるか」
も、とても大切です。
信頼できる人なのか。
人の話を他人に広めるタイプではないか。
困ったときに話を聞いてくれそうか。
こういう部分も見ておいたほうがいいでしょう。
ADHDを周知するのではなく、自分の「取り扱い説明書」を少しずつ渡す
僕は最近、
「ADHDをみんなに理解してもらわなければいけない」
と考えること自体が、少し違うのではないかと思っています。
全員に理解してもらう必要はない。
全員に伝える必要もない。
自分のことを全部説明する必要もない。
大切なのは、
必要な相手に、必要な情報を少しずつ渡していくこと。
「僕は口頭で一気に説明されると抜けやすいです」
「重要なことは文字でもらえると助かります」
「予定は一緒に確認してもらえると安心です」
そんなふうに、自分の特徴を少しずつ伝えていく。
その積み重ねの先に、
「実はADHDなんです」
という話があってもいい。
逆に、そこまで言わなくてもいい場合もあります。
それでいいのだと思います。
そして、自分の苦手なところを伝えるだけではなく、
「自分は何ができるのか」
「相手にどんな形で貢献できるのか」
も、一緒に考えてみる。
そうすると、配慮される側と配慮する側という一方向の関係ではなく、
お互いに助け合う関係
に近づいていくのだと思います。
ADHDを伝えることは、自分の弱さを告白することだけではありません。
「自分にはこういう特徴があります」
「こういうときは助けてもらえると嬉しいです」
「その代わり、自分はこういうことができます」
と、お互いの得意不得意を共有することでもある。
僕自身も、まだこのバランスを探している途中です。
「伝えなければ」
と思いすぎることもある。
逆に、
「絶対に隠さなければ」
と思ってしまうこともある。
でも、本当はその二つの間に、もっとたくさんの選択肢があります。
だから、
「言うか、隠すか」ではなく、「誰に、何を、どこまで伝えるか」。
そして、
「自分の取り扱い説明書を、必要な人に少しずつ渡していく」。
そのくらいの距離感が、案外ちょうどいいのかもしれません。

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